Masako Noguchi

Freelance Wedding Planner


今思えば運命に導かれていたと気づかされることになった私が

なぜナチュラル系のフリーランスウェディングプランナーになったのかの

これまでのちょっぴり長いストーリーをご紹介します

Profile

・出身地:主に東京(兵庫/大阪/福岡/東京)

誕生日:11月15日

最終学歴:青山学院女子短期大学

 

略歴:テアトルエコー俳優養成所第9期卒後

ダンサー・ミュージカル俳優・

サーカスの司会・歌のお姉さん・

イベントプロデューサー・ライターを経て

自身のロサンゼルスでの挙式がきっかけでウェディング業界へ

約20年、プロ司会・フリーランスウェディングプランナーとして1200組以上の婚礼をサポート(2017年末現在)

 

特性:人見知り・涙もろい・子供好き・ものを作るのが好き

尊敬する人(敬称略):父、母、弟

好きなアーティスト(敬称略):萩尾望都、マイケル・ジャクソン、三谷幸喜

好きな俳優(敬称略):マット・デイモン

好きなスポーツ選手(敬称略):ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダル、錦織圭

好きなアニメ:三月のライオン

好きなドラマ:24

好きな映画:スターウォーズ(シリーズ全作)、T2

好きな舞台:レ・ミゼラブル、ミス・サイゴン

好きな食べ物:バウムクーヘン、杏

好きな番組:NHKスペシャル「生命40億年はるかな旅」

特技:耳が動かせる

弱点:夢中になると何も聞こえなくなる

苦手なもの:虫全般

自分を動物に例えると:リス、または モモンガ

夢:人と自然が共存できるオーガニック&エシカルな結婚式場を創ること

 


My History


1. 坂本龍馬と同じ日に生まれました

九州男児のこわもての父と

気立ての優しい母の間に

生まれました

 

坂本龍馬と同じ誕生日に生まれたことや

 

曲がった事が大嫌いで

正義感が強く

人情に弱くて新しいもの好き

だった父と

 

陽だまりのように暖かくのんびりした人柄の母の間に生まれたことは

 

今になってみると私の価値観や生き方に多大なる影響を与えているとつくづく思います

 

子供の頃から人見知りで泣き虫だった(今も変わらず)一方で なぜか女の子っぽい遊びが苦手でヒーローごっこをしたりロボット遊びをするのが好き、という変わった子でした。

一人で黙々と何かを作ったり絵を描いたりするのが好きでした。

しかし夢中になると人一倍集中力がありすぎて声をかけられても全く気づかないほどだったので誤解されることが多く、体も弱かったのでいじめられっ子でした 

 

2. 舞台に命を燃やした日々

自分に自身がなく、高校を卒業してしばらくは、自分にはやりたいことや夢をもつ資格も才能もない、と思い込んでいたので、

普通に大人になって普通にお嫁さんになって

普通の人生を歩むのが私のあるべき人生だと思っていました。

 

短大に入っても入りたいクラブもなくぶらぶらしていて、

なんとなく周りの付き合いで夏はテニス冬はスキー

どちらかといえばスポーツが目的なのではなくて男女の出会いが目的

というふんわりしたサークルに入っていましたが

自分のいどころが無く 何にも興味が持てなくて

だんだん足が遠のいていました

 

ふと目に止まったポスターに惹かれてモダンダンス部に入部しました。

他にやりたい事があるわけでもなかったのですが、

ちょこっとやってみるだけで、

すぐにやめようと思っていました。

 

夏休みの合宿も半分イヤイヤ参加していたのですが

卒業した先輩が合宿にわざわざ足を運んでくれて見せてくれた

「壁を叩く」

というタイトルの魂をかけた踊りに衝撃を受けました。

 

「命を燃やして生きている人がいる」。。。

 

心に雷が落ちたような気がしました。

 

 

 

うまいとか下手とか 才能があるとか無いとか

そんなちっぽけなレベルではありませんでした!

 

もしかしたら自分にも何かできるのかもしれない・・

 

人の目に触れないように

できるだけ目立たないように

できるだけ嫌われないようにと 息を潜めて生きてきた

自分の人生の価値観がひっくりかえり

 

人にこんなに感動を与えることができるなら

ダンスに本気で命をかけてみたい

と熱い思いの日々が始まりました。

 

短大卒業後、表現力を磨いて舞台に立つオーラを身に付けたいと思い

俳優養成所の門を叩き、アルバイトをしながら

ダンスと演技のレッスンにあけくれました

養成所を卒業した後も

踊ることが大好きだったこともあり

ダンサーとしてミュージカルの世界で行きていく道を探りながら

オーディションを受けまくりました

 

そんな中、子供向けのミュージカルを手がけている劇団の

主役に抜擢していただき丸2年全国行脚の日々。

舞台こそが私の人生と思っていました。

 

しかしもともと人付き合いが不器用な方で

劇団内のいじめに悩み

何もかもいっぱいいっぱいになってしまって

体力にも自分の才能にも

自分の人としての器にも

限界を感じるようになりました。

 

主役をはっている時よりも

脇役で少しゆとりを持って全体を見ている時の方が

自分らしくいられると感じ始めたことや

どちらかといえばバックサポートや小物を作ったり

衣装を作ったりしている時の方が

充実感があると感じるようになり

自分がやりたかったのは 舞台で演じることでは無く、

舞台を創ることだったのだと気づいて役者は引退。

それから模索の日々が始まりました

 

3.日本一ゼクシイ創刊号を使い倒した花嫁(自称)

そんな模索の日々の中で

不思議な縁の積み重ねで出会った

主人との結婚が決まりました

 

これもまた今から思うと

不思議ですが入籍したのは1993年。雅子様が皇太子妃になられた年でもあり、ウェディング業界に革命を起こすことになった「ゼクシィ」の創刊号が発刊された年でもありました。

 

当時はまだ結婚式といえばホテルか式場でやるもので、

どの結婚式を見てもハンコで押したように同じという選択肢しか見当たりませんでしたが

当時、新進気鋭の空間プロデューサーだった主人が

「絶対にあんな結婚式はやりたくない」と

本屋で指をさしたのがこれでした。

 

創刊号は 今のゼクシイとは内容は全く違うコンセプトで

表紙も他の結婚情報誌とは一線を画し異彩を放っていました

(今でもすごい表紙だと思います!)

 

もっとおしゃれでもっと自由な結婚式をやろうじゃないか!という

相当とんがった提案が満載でドキドキしました。

撮影スタジオや美術館、音楽堂や一軒家、フリースペースを貸し切ってやる結婚式、海外で裸で泳ぐ男女のロケ撮影イメージなど・・ 

 

当時は 斬新すぎるその内容に心奪われ 貪るように読みあさり、

掲載されていた場所で実現可能そうだと思われるところは

半年かけて全て見にいきました。

 

しかし そういう会場にはウェディングのノウハウのある方はいらっしゃらず事務的な感じだし、会場も手入れが行き届いていなくて、掃除から始めないと厳しいかも、、というところが多かった記憶があります。

それでも私は何も無いところから舞台を作り上げてきた劇団経験があったのでなんとかする、絶対ありきたりではない、自分たちしかできない結婚式をやろうと固く心に誓っていました。

 

毎日持ち歩いて暇さえあればページをめくっていたので

ゼクシィ創刊号は見るも無残にボロボロになってしまいました。

そして、、もう見るところがなくなったという頃に 主人が一言。

 

「日本では結婚式をやりたいところがないな」

 

!!!!!!!?!?!?!?!?!!!!!!!!?

4.運命を変えたガラスの教会との出逢い

私がどんなに落胆して 涙にくれたことか。

 

一体この半年間の努力は なんだったの・!?? 

 

もう一生結婚式はできない ってこと・・?!

 

落ち込む日々の中で 結婚式を諦めかけた頃、

本屋さんで見つけた本の中に アメリカに「ガラスでできた教会がある」という記事を見つけました。

 

「自然と人との共存」

「自然の中で心を開く」 

 

というコンセプトに

 

これだ! と閃いて いても立っていれらず

 

あれこれ調べているうちに 映画「インナースペース」のラストシーンに使われている有名な教会の事かも?という情報を得て、早速ビデオを借りてきました。

 

(あとで実は当初本で読んだのと違う教会だったことがわかったのですが・・)

 

映画のラストシーンは何度でも見たいと思えるくらい美しく その土地の石と木を使い 森の木々に見守られているようなたたずまい。。。 

 

そしてそれがフランクロイドライトの息子さんの建築だとわかった時に、身体中に電気が走り

運命を感じました。

 

何かと子供頃に母に連れていかれた場所が フランク・ロイド・ライトが関わっていることが多かったこと、自然との共存をテーマにしていながら幾何学の美しさを伴ったフランクロイドライトの建築がとても好きで、特別の思い入れがありました。 だからか。。。。なぜか 故郷を見つけたような 不思議な懐かしさを覚えました。

 

そしてそれから半年後、私の夢は実現することになったのです。

5.雄大な自然の中でのロサンゼルスの結婚式

ガラスの教会はロサンゼルスの郊外にあり断崖絶壁の崖の上に立っていました。太平洋を見渡すその場所には花が咲き乱れ、緑の豊かな木々に囲まれ、自然のパワーを感じる空間。本当に圧巻でした。

 

挙式当日、朝から土砂降りの雨だったのに、

チャペルに着く頃には、ぱぁぁっと青空になり

眩しい陽射しが差し込むチャペルは全てがキラキラ輝いて、

浄化されたように見えました。

 

何より、夢に見た場所に到着するなり涙が止まらなかった私をまるでファミリーのように可愛がって迎え入れてくれたカメラマン兼ヘアメイク兼コーディネーターさん(今でもこういう人は日本では考えられませんね?)が至れり尽くせり、フレンドリーで暖かい心遣いにいたく感動しました。

そもそもロサンゼルスに着いた日の夜には一緒にお食事にいき

挙式前日には一緒に韓国式のエステサロンに行って文字通り裸のお付き合い

。挙式後も一緒に美味しいお寿司を食べに行って打ち上げ!

写真も、当時、日本では結婚式の写真といえば お決まりポーズの硬い表情のものしかありませんでしたが、自由にはしゃぎ回りながら笑顔いっぱいで のびのびしつつ、本当にたくさん写真を撮ってくれました。小花の花かんむりは イメージと全く違ってがっつり大ぶりな感じになっていましたが、そんなことは気にならないほど、心が解き放たれ、自然の中で本当の自分に出会えたような感覚を味わいました。

いよいよ帰国という日には、飛行機の時間に間に合ったと駆けつけてくれて、全ての写真を焼いて持ってきてくれました。黒い台紙に挟んだだけの質素なものでしたが 立派な装丁のアルバムより何倍も嬉しくて、ハグしてくれたその優しさにもまた涙が溢れました。

 

いつの日かこんなに自由で楽しくて暖かく

自然と生きていく喜びを感じられるような結婚式を 日本でプロデュースしたい!  そう心に誓って帰国したのでした。

6.ウェディングのプロ司会としてデビュー

しかし 当時はウェディングプランナーなる職業すらない時代。勉強するにも方法もわからず、何をどうしたら思い描く結婚式を実現できるようになるのか、さっぱりわかりませんでした。

とりあえずウェディングの現状を知ることから始めようと、学生さんに混じって結婚式場でのアルバイトを始めました。

そこでみた司会者のお仕事ぶりを見て、一番プロデュースの実現に近いところにいる立場であることを学び、大手司会事務所の門を叩きました。礼儀にも厳しい事務所だったおかげで精神的にも鍛えていただき、プロ司会としてデビューしてから有名ホテルや結婚式場などでたくさんの経験を積ませていただきました。才能ある優しい先輩方にも恵まれ、現場で裏側も見て、いいことも悪いことも本当に様々な体験をしながらたくさんのことを学びました。

当時は司会者が新郎新婦のご希望をまとめて進行表を作って式場の担当者さんに提出し、当日は司会者が新郎新婦のご希望を現場スタッフに伝える役目を担っていました。個人的なことを相談されることも多く、困っている新郎新婦のお役に立ちたいと必死だったので (事務所には内緒でしたが) 新郎のスピーチ台本を書いてあげたり、リングピローや結婚証明書やペーパーアイテムなどを作ってあげたり、涙ながらのお悩みを一晩かけて聞いたこともありました。両親の意見が合わないので調整して欲しいと言われて緊張しながらご両家ご両親のお話を聞かせていただいたこともありました。

7. 2007年7月7日セブンハピネス創業

夢の実現のために試行錯誤をしてかなり遠回りをしていた私でしたが、プロ司会としてもフリーとなって口コミでお仕事をいただけるようになり、式場からもスカウトを受けることもありましたが、もっと1組1組の新郎新婦様とじっくりと向かい合い最高の結婚式を作るお手伝いがしたいという気持ちが揺らぐことはありませんでした。

 

なけなしのお金を貯めて一念発起!

 

2007年7月7日セブンハピネスを創業。お世話になった新郎新婦様や親しい友人がお祝いにきてくれました。

 

初めて手作りしたイメージ映像とパンフレットには

 

「ありがとうを伝えたい」

 

というプロデューステーマを掲げ 私のチャレンジの日々が始まりました。

8. 2008年船上ウェディングプロデュース

初めてのプロデュースは 4年越しで結婚式の夢を叶えたお二人のご希望で船上ウェディング。4歳のお嬢様の花かんむりやリングピロー、ランチョンマットや船内の装飾、ギフトラッピングなどを新婦様とご友人と一緒に手作りしました。ギフトは一人一人違うものをお選びだったのでギフトに全て名前のシールを貼ったり、サプライズの演出をいくつも仕込んで盛りだくさんの結婚式。新婦にウェディングドレスを着せてやりたかったという男前の新郎様の親御様への涙にもらい泣き、お見送りの後に新婦様ともハグしてもらい泣き、スタッフ一人一人の素晴らしい働きっぷりにも涙涙でした。船のウェディング担当者の方も本当に思いやりの深い素敵な方で今も忘れられません。そして当日の新婦様の美しかったこと。。その優しく暖かなお人柄にも惚れずにはいられなかった。。私にとっても一生忘れられない船出となりました。

9. 2009年東京Cafe Wedding Project スタート

しかし当時はまだまだフリーランスとしてウェディングをプロデュースするなんて夢のまた夢、方法論が見つからずに

とてもシンプルに、ただただ

100%新郎新婦様の味方になりたいだけ。。

 

しかし、ホテルや式場やレストランさえも、当然専属のプランナーさんがいらっしゃいますし、それなら会場側のプランナーさんと、新郎新婦側のプランナーのコラボという方法があるのではないか?と思い、司会として新郎新婦様の打ち合わせに同席しながらバックサポートをしていました。

 

しかし、あれこれあれもダメ、これもダメ、と制限の中でやれることが限られますし、不可解な料金設定やシステムに疑問を投げかけても、壁を叩けば叩くほど、どんどんぶ厚くなっていくような感じ。。もちろん式場に迷惑をかけるつもりはないのですが、まるで敵がやってきたような対応だったり、必要なことを教えてもらえなかったりするところもありました。とある超有名ホテルでは新郎新婦様がいないところで、支配人が奥から出てきて「一体何が目的なんだと」怒鳴られてショックを受けロビーに降りたところで我慢しきれず号泣したこともありました。

 

中には、会場のプランナーさんや現場のキャプテンがとても素晴らしい方で、「野口さんのような新郎新婦と会場の間に入ってくれる存在は必要だと思う」とか「またぜひ来てください!」と応援してくださる方もいらっしゃり、自分がやろうとしていることはきっと間違っていない、と励まされることもありましたが、目の前に立ちふさがる大きなウェディング業界のシステムの壁を前にして、結局一人であがいても何も変わらない。。と落ち込む日々が続いていました。

 

そんな時、ふと閃いたのが「カフェ」でした。予算を抑えながら自由でアットホームな結婚式ができるという提案を持ってカフェを回ると、カフェの方も喜んでくださるところが多くなり、やっと自分の居場所を見つけた、そんな思いでやっとフルプロデュースが実現するようになりました

10. 2011年Natural & Ethical Wedding をコンセプトに

カフェ以外でもウェディングをプロデュースできる場所が徐々に増え、レストランや歴史的建造物などでの結婚式のご依頼も増えてきました。

 

しかし忘れもしない

あの2011年3月11日の震災。その直後の結婚式での様々な経験の中で かねてから人と自然とつなぐ何かをしたいと考えていたことを思い出しました。

 

私にできることがあるとするならば、それは地球に優しい結婚式を作ること。

 

そんな結婚式を体験してくださった新郎新婦様が築く家庭が人と自然を繋いでくれるなら、そういう家庭で育った子供たちが創る未来が変わるのではないかと思い、

「ナチュラル&エシカル」

をウェディングプロデュースの基本コンセプトにするようになりました。

 

共感してくださる新郎新婦様との出会いにも恵まれるようになり、

素敵な新郎新婦様に出会うたび、感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

なぜか美男美女の新郎新婦様ばかり!

結婚式が終わった後も次の結婚式のお手伝いをしにきてくださったり、気持ちの優しさも気配りも素晴らしい、、

世の中にこんなに素敵な人がいるんだなぁ・・ということに

毎回感動しています。。

 

そしていつかは自然エネルギーだけで実現できる結婚式場を作ろうと決意。

そのための仲間を募り資金作りをしなければと試行錯誤中です。

いつかその式場にこれまで自由で自分たちらしい結婚式をお手伝いさせていただいた新郎新婦さまに感謝を込めてお名前を刻ませていただきたいというのが

私の夢。

 

もちろんまだまだやらなければならないことは山積みで、自分の力のちっぽけさ加減を改めて思い知る毎日ですが、思いを持って1組、1組、全身全霊で結婚式のお手伝いすることがきっと私の生まれてきた使命だと思っています。

 

私自身がお手伝いできる結婚式の数は多くはありません。

けれど新郎新婦様が次に繋げてくれる幸せのリレーをこれからも

大切にしていきたいと思います。

 

2018年3月吉日

 

野口雅子


Seven Happiness Wedding

事業概要


創業:2007年7月7日

概要:

・ウェディングプロデュース(主に東京・横浜)

・ウェディングコンサルティング

・会場およびウェディングアイテムのご紹介

・司会(婚礼・イベント)

・デザイン

・フリープランナー養成

・取材執筆

・講演

その他ウェディングに関するプロジェクトを進めています

 

2018年3月現在